ニッチな有明山神社案内

陶工房 ほたかやき

2016年05月08日 14:27

先日、ふと思い立って有明山神社へ行って参りました。
この辺りは「宮城(みやしろ)」という地名で、この有明山神社の事を「宮城の神社」と言ったりします。
境内には何本もの立派な桜の樹がありますので、幼い頃は親戚総出でお花見に行くのが年中行事でした。実は祖父がこの神社に寄進していて、ちょっとしたご縁があったりするのです。
この日は5月に入っていたのでさすがに葉桜になっていました。残念。

有明山神社の参道の脇、桜の樹々の中に建てられているのが、駆逐艦有明の御分霊記念塔です。



「御分霊」とは、戦艦や駆逐艦などの中に神棚(艦内神社)をつくり、艦名とご縁のある神社の御祭神の御霊を分けて祀ることだそう。
こちらは昭和10年に竣工された駆逐艦「有明」内の艦内神社に有明山神社の御祭神が分霊された記念の塔です。
しかし、こんな山奥の神社から遠く離れた海の上の艦内神社に分霊された神様方、さぞ戸惑われたことでしょう。

有明山神社のすぐ北側には正福寺というお寺があり、その御堂の右手へ、小さな石仏が並ぶ山道を10分ほど辿っていくと「魏石鬼岩窟」があります。これがこの辺りを支配していた「八面大王」が立てこもったという伝説がある岩屋です。




有明山神社は山岳信仰の神社であったため修験場としても使われ、天井石にあたる大きな岩には磨崖仏も掘られていますが、元々はドルメン式古墳(支石墓)だそう。
このあたりの山の中には「穂高古墳群」といって、小さな円墳が点在しています。



戦前は長野県の史跡として指定されていたらしく、旧仮名遣いの説明文もあったり。

そして「魏石鬼岩窟」から獣道っぽい小道を下って沢を渡るったところに「八面大王の足跡岩」があります。



が、案内文も見当たりません。
30年以上昔、小学校の遠足で来た時には「八面大王の足跡(鬼の足跡だったかな?)」と説明されたような気がするんですがねぇ・・・はて。



結構大きな岩です。足跡には見えないような、無理矢理見ようと思えば見えるような・・・明らかに人の手で掘られたような跡があります。
果たして一体これは何なのか。一体誰が何の目的で掘ったものなんでしょうか?

八面大王の岩屋も足跡も見たし、さて帰ろうかと写真を撮っていた所、背後に何かの気配を感じました。
さては熊かしら?最近はこの辺りにも出るらしいしと背筋をぞわぞわさせながら早足で山道を歩いていたところ、前方に気配の正体が。




子連れのお猿さんと、お猿さんの群れでした。
野生の猿です。襲ってくることはありませんが、警戒心が強く近寄るとすぐに逃げてしまいました。

八面大王の岩屋と足跡を見に行く際には、足場が悪いのでご注意を。


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